建設現場では塗料、溶剤、接着剤など多くの化学物質が日常的に使用されている。2024年4月の労働安全衛生法改正により、化学物質の管理は「個別規制型」から「自律的管理」へと大きく転換した。事業者自らがリスクアセスメントを実施し、ばく露防止措置を講じる責任を負う体制である。
しかし建設業の現場では「どの製品がリスクアセスメント対象になるのか分からない」「SDSをもらったが読み方が分からない」「化学物質管理者は誰を選任すればよいのか」という声が少なくない。
本記事では、建設現場で使用頻度の高い塗料・溶剤・接着剤を中心に、化学物質の自律的管理に必要な手順を実務レベルで解説する。
なぜ「自律的管理」へ移行したのか
従来の化学物質規制は、特定化学物質障害予防規則や有機溶剤中毒予防規則など、物質ごとに個別の規制を設ける方式だった。しかし、この方式では規制対象外の化学物質による災害を防げない構造的な問題があった。
厚生労働省の分析によると、化学物質の性状に関連する労働災害は直近10年間で年間約500件前後で推移し、減少傾向が見られなかった。災害の多くは規制対象外の物質によるものであり、個別規制だけでは限界があることが明確になった。
~500件/年
化学物質関連の労働災害(直近10年平均)
~2,300物質
リスクアセスメント対象物(2026年4月予定)
出典:厚生労働省「化学物質の性状に関連の強い労働災害の分析結果」、厚生労働省「職場の化学物質管理総合サイト(ケミサポ)」
こうした背景から、2022年の安衛法改正(2024年4月全面施行)で導入されたのが「自律的管理」の枠組みである。事業者が自らSDSを確認し、リスクアセスメントを実施し、ばく露防止措置を選択・実行する責任を持つ仕組みへと転換した。
改正安衛法の基本的な考え方
国がすべての化学物質に個別の規制を定めるのではなく、危険性・有害性が確認された物質について事業者自らがリスクアセスメントを行い、その結果に基づいて自律的にばく露防止措置を講じる。国は濃度基準値の設定と技術指針の提示で事業者を支援する。
建設現場で扱う主な化学物質と健康リスク
建設現場では、意識せずに化学物質を取り扱っている場面が多い。塗装、防水、接着、洗浄といった一般的な作業で使用される製品の多くにリスクアセスメント対象物質が含まれている。
| 作業 |
使用製品例 |
含まれる主な有害物質 |
主な健康リスク |
| 塗装 |
油性塗料、ラッカー |
トルエン、キシレン、エチルベンゼン |
中枢神経障害、頭痛、めまい |
| 防水 |
ウレタン防水材 |
イソシアネート類(TDI・MDI) |
喘息、皮膚感作、呼吸器障害 |
| 接着・シーリング |
エポキシ接着剤、シーリング材 |
エポキシ樹脂、ビスフェノールA |
皮膚炎、アレルギー性接触皮膚炎 |
| 洗浄 |
シンナー、剥離剤 |
メチレンクロライド、アセトン |
肝障害、中枢神経障害 |
| 溶接 |
溶接棒、フラックス |
マンガン化合物、六価クロム |
じん肺、神経障害 |
見落としやすい化学物質リスク
防水塗装や接着作業で使用されるイソシアネート類は、SDSに記載がなくても現場で検出される場合がある。建災防の調査では、許容濃度の1/2程度の濃度が検出された事例が報告されている。「SDSに書いていないから安全」とは判断できない。
自律的管理の5ステップ
建設現場で化学物質の自律的管理を進めるには、以下の5つのステップを順に実行する。
-
1
使用している化学物質を洗い出す
現場で使用する塗料、溶剤、接着剤、洗浄剤などの製品名と数量を一覧化する。ラベルに記載されたGHS絵表示を確認し、危険有害性の有無を把握する。下請が持ち込む製品も対象に含める。
-
2
SDSを入手・確認する
製品ごとにSDS(安全データシート)をメーカーから入手する。SDS第2項「危険有害性の要約」と第8項「ばく露防止及び保護措置」を重点的に確認し、リスクアセスメント対象物質が含まれるかを判定する。
-
3
リスクアセスメントを実施する
対象物質ごとに、作業内容・使用量・換気条件などからばく露の程度を評価する。厚生労働省が提供する「CREATE-SIMPLE」を使えば、入力項目に沿って推定ばく露濃度を算出できる。
-
4
ばく露防止措置を決定・実行する
リスクアセスメントの結果に基づき、代替物質への変更、工学的対策(局所排気装置の設置)、作業管理(使用量・時間の制限)、保護具の使用を組み合わせて措置を講じる。濃度基準値が設定されている物質は、ばく露濃度を基準値以下に保つ義務がある。
-
5
記録と見直しを継続する
リスクアセスメントの結果、措置の内容、作業環境の測定結果を記録し3年間保存する。新しいSDSの交付、濃度基準値の追加設定、作業条件の変更があった場合は再度アセスメントを実施する。
CREATE-SIMPLEとは
厚生労働省が無料で提供するリスクアセスメント支援ツール。化学物質の種類、使用量、作業環境などを入力すると推定ばく露濃度が算出され、濃度基準値との比較が可能になる。建設業向けの入力パターンも用意されている。
化学物質リスクアセスメント チェックリスト
建設現場の化学物質管理に必要な確認項目を網羅。SDS確認からばく露防止措置まで一覧で管理できます。
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SDS確認と濃度基準値の読み方
SDSは化学物質管理の出発点である。しかし16項目にわたる情報量の多さから、現場担当者が「どこを見ればよいか」に迷うケースが多い。建設現場のリスクアセスメントで最低限確認すべき項目を整理する。
SDSで確認すべき重点項目
| SDS項目番号 |
項目名 |
確認すべき内容 |
| 第2項 |
危険有害性の要約 |
GHS分類、絵表示、注意喚起語(「危険」「警告」) |
| 第3項 |
組成・成分情報 |
含有成分名と含有率(リスクアセスメント対象物質の有無) |
| 第8項 |
ばく露防止・保護措置 |
許容濃度、濃度基準値、推奨保護具の種類 |
| 第11項 |
有害性情報 |
急性毒性、発がん性、生殖毒性の有無 |
| 第15項 |
適用法令 |
安衛法、特化則、有機則の適用有無 |
濃度基準値とは
濃度基準値とは、労働者のばく露濃度をこの値以下に保つことが義務付けられる数値である。厚生労働大臣が告示で定める。2024年4月時点で濃度基準値が設定された物質は67物質であり、段階的に追加されている。
濃度基準値には「8時間濃度基準値」(8時間TWA)と「短時間濃度基準値」(15分間の平均値)の2種類がある。建設現場では短時間に高濃度のばく露が発生しやすいため、短時間濃度基準値にも注意が必要である。
裾切値の確認も忘れずに
リスクアセスメント対象物質の含有率が「裾切値」以上であれば、その製品全体がリスクアセスメント対象となる。裾切値は物質によって0.1%または1%と異なるため、SDS第3項の含有率とあわせて確認する。
化学物質管理者の選任と役割
2024年4月から、リスクアセスメント対象物を製造・取り扱うすべての事業場で化学物質管理者の選任が義務化された。建設業も例外ではない。
選任要件
| 事業場の区分 |
選任要件 |
| リスクアセスメント対象物を製造する事業場 |
専門的講習(厚労省告示に基づく講習)の修了者 |
| リスクアセスメント対象物を取り扱う事業場(建設業はこちら) |
資格要件なし。ただし必要な教育を受けた者が望ましい |
建設業は「取り扱い事業場」に該当するため、法律上は資格要件がない。しかし、化学物質管理者講習を修了した者を選任することが実務上は強く推奨されている。
化学物質管理者の主な職務
- ラベル・SDSの確認と管理:現場に持ち込まれる化学物質のラベル表示を確認し、SDSを入手・保管する。
- リスクアセスメントの実施管理:対象物質のリスクアセスメントが適切に実施されているか管理する。
- ばく露防止措置の選定と指導:リスクアセスメントの結果に基づく措置を決定し、現場に指導する。
- 労働者教育の実施:化学物質の危険有害性と取扱い方法について教育を行う。
- 記録の作成・保管:リスクアセスメント結果、措置内容、教育実施記録を3年間保管する。
建設現場と本社事業場の関係
建設現場は労働基準法上「出張所」として扱われるため、化学物質管理者の選任義務は本社(事業場)側に発生する。ただし、現場で化学物質を実際に管理する体制は別途構築する必要がある。元請・下請それぞれの会社ごとに選任が必要である点にも注意する。
保護具着用管理責任者の選任
化学物質管理者とあわせて、保護具着用管理責任者の選任も2024年4月から義務化された。保護具の適切な選定、フィットテストの実施、管理状態の確認を担う。特に有機溶剤を扱う塗装作業では、防毒マスクのフィルター交換時期の管理が重要になる。
現場で使えるチェックリスト
化学物質の自律的管理を現場で実践するための確認項目を整理した。安全管理者が定期的に点検する際の基準として活用してほしい。
事前準備の確認
- 現場で使用する化学物質の一覧表を作成しているか
- すべての化学物質についてSDSを入手・保管しているか
- 化学物質管理者を選任し、社内に周知しているか
- 保護具着用管理責任者を選任しているか
- 下請が持ち込む化学物質も把握しているか
リスクアセスメントの確認
- リスクアセスメント対象物質を特定しているか
- 作業ごとにリスクアセスメントを実施しているか
- 濃度基準値が設定されている物質を把握しているか
- CREATE-SIMPLEまたは同等のツールで評価しているか
- アセスメント結果を記録・保管しているか
ばく露防止措置の確認
- 代替物質への切り替えを検討したか
- 局所排気装置や換気設備を適切に設置しているか
- 保護具(防毒マスク、保護手袋など)を支給しているか
- 保護具のフィットテストを実施しているか
- 作業時間・使用量の制限を設定しているか
- 濃度基準値以下であることを確認しているか
教育・周知の確認
- 化学物質の危険有害性について作業員に教育しているか
- SDSの内容を作業員に分かりやすく伝えているか
- GHSラベルの読み方を教育しているか
- 緊急時(漏洩・中毒)の対応手順を周知しているか
化学物質の自律的管理では、SDS管理やリスクアセスメントの記録など事務作業が増加する。デジタルツールを活用して効率的に管理体制を構築することが実務上の鍵になる。
化学物質リスクアセスメント チェックリスト
建設現場の化学物質管理に必要な確認項目を網羅。SDS確認からばく露防止措置まで一覧で管理できます。
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ご注意
本記事は一般的な参考情報であり、法的助言を提供するものではありません。法令の解釈・適用や個別事案への対応は、社会保険労務士・弁護士等の専門家、または所轄の労働基準監督署等の行政機関にご確認ください。記載内容は執筆時点の情報に基づき、最新の法令・通達と異なる場合があります。
まとめ
本記事の要点を整理する。
- 2024年4月の安衛法改正で、化学物質管理は「自律的管理」へ完全移行した。事業者自らがSDSを確認し、リスクアセスメントを実施し、ばく露防止措置を講じる義務を負う。
- 建設現場では塗料・溶剤・接着剤に多数のリスクアセスメント対象物質が含まれている。トルエン、キシレン、イソシアネート類など、健康障害のリスクが高い物質に日常的にばく露される可能性がある。
- 自律的管理は5ステップで進める。化学物質の洗い出し、SDS確認、リスクアセスメント実施、ばく露防止措置の実行、記録と見直しの継続が柱になる。
- 化学物質管理者と保護具着用管理責任者の選任は全事業場で義務化されている。建設業では本社事業場での選任が基本だが、現場での管理体制も別途整備する必要がある。
- リスクアセスメント対象物質は2026年4月に約2,300物質まで拡大される予定。対象拡大に備え、現時点から管理体制を整備することが求められる。
化学物質の自律的管理は、従来の「規制に従えばよい」という受動的な姿勢から、「自ら危険を把握し対策を講じる」能動的な管理への転換を求めている。建設現場の安全管理者には、SDSの読解力、リスクアセスメントの実施能力、そして組織的な管理体制の構築力が問われている。まずは現場で使用する化学物質の洗い出しとSDS入手から着手してほしい。
参考法令・資料
- 労働安全衛生法 第57条の3(リスクアセスメント)、第57条の2(SDS交付義務)
- 労働安全衛生規則 第577条の2(ばく露低減措置)、第12条の5(化学物質管理者の選任)
- 厚生労働省「職場の化学物質管理総合サイト(ケミサポ)」
- 厚生労働省「化学物質の性状に関連の強い労働災害の分析結果」
- 建設業労働災害防止協会「建設業における化学物質取扱い作業リスク管理マニュアル」
- 厚生労働省「CREATE-SIMPLE(クリエイト・シンプル)」リスクアセスメント支援ツール